休む事は、“甘え”“逃げ”という社長の言葉

猪飼智弘

2017/11/15

女性 23歳 教育支援業

私が会社を辞めたきっかけは、病気です。けれど退職を決断したのは、社長の言葉があったからでした。

入社して一年が経とうとする頃、身体に不調が現れはじめました。
頭痛、息苦しい、腹痛、微熱などなど。

早く寝よう、ストレス発散に新しいことを始めよう、などと自分でも奮闘してみたものの、
症状は改善することなく、次第に慢性化していきました。

当時私が勤めていた会社は、土日祝が休みだったので、
なかなか病院に行けません(平日に「病院に行くので休みます」とも言いづらい会社でした)。

しかし、ある日目が覚めると、息苦しくて起き上がれませんでした。
なんとか起き上がっても嘔吐が続き、さすがに会社に行ける状態ではなかったので、
戦々恐々で上司に休みたい旨を伝え、やっとのことで、病院へ。

その時、お医者さんに言われた一言が未だに忘れられません。
「相当やばいですね。もう少し悪化してれば、死んでたかもしれませんよ」

具体的な病名は伏せますが(会社の人にバレたくはないので……結構コアなやつです)、
そんなこんなで医師にはその場で休職するよう命じられました。

「とりあえず一か月は休んでください」とのことでしたが、
当時私が所属していた部署では、次の月からとても大きなプロジェクトが動く予定でした。

うちの部署は仕事を回す人数がギリギリ。
一人でも抜ければ、その大仕事が回らなくなることは、ぺーぺーの私でも理解していました。

だからこそ、お医者さんに粘って粘って、休職期間を二週間にしてもらうことにしました。
どちらにしても迷惑をかけることは確実でしたが、少しでも早く戻ろうと考えたんです。

それでも申し訳なくて死にそうでしたし、上司の反応を思うと出社前から吐き気がしました。
正直、自分が休職届を出さず、病院にも行かず、そうやってとりあえず来月を乗り越えれば……と考えていましたが、
そんな私の考えを見透かされたのか、家族みんなから釘を刺されました。

「死んでたかもしれないって言われたんでしょ? 来月の仕事のために、一生を無駄にしてもいいわけ?」
そう言われてからはっとしました。

今から振り返ればすさまじい社畜思考だなと思いますが、
当時の私は、休職=迷惑を掛けるという思考でいっぱいで、いつの間にやら、死んでいたかもしれないと言われたほどの自分の病状が、
きれいさっぱり頭の中から消え失せていたんです。

ここで休んでちゃんと病気について手を打っておいた方が、結果的に会社に掛ける迷惑は少なくなるだろうし、
何より私が死んだら家族だって悲しませる、と思い直し、私は勇気を振り絞って、翌日休職届を上司に提出しました。

自分の病状と医師の言葉を伝え、もっと早く病院に行くべきでしたと謝る私の言葉を、
上司はただ静かにきいていました。そして静かに一言、「社長にも連絡を入れますので、話はそこで」。

意外とすんなりと話が通り、私はほっと胸を撫でおろしていましたが、
ここからが大変でした。この「社長」が曲者だったのです。

私が勤めていたこの会社は規模が小さく、五つあった部署はすべて、
小学校の教室と同じかそれより少し大きいくらいのワンフロアに収まっていました。

ですから、誰が何をしているか、社員全員がほぼ把握できるような環境でした。
そんな中で、社長はほぼ会社にはおらず、一体どんな仕事をしているのか、いつもどこにいるのか、私はまったく知りませんでした。

神出鬼没で、電話でもなかなか捕まらないので、たまに電話がつながると、
電話番から「社長に用事ある人!」と声が掛かり、各部署の部長が電話待ちに並ぶほどでした。

ゆえに、社長についての印象は、入社試験の最終面接で話した時のまま止まっていました。
「仕事にあらんかぎりの情熱を持って取り組んでいる人」、といった感じでしょうか。

正直、お金のためと割り切って仕事をしている私としては、馬が合わないかも……とは思っていましたが、
自分の業務に社長が関わってくるわけでもなく、そもそもいつも不在なので、それまでは何の問題もなかったんです。

しかし、休職の申し出をしたとき。いつもいないはずの社長が、一時間ほどで急に姿を見せ、私は社長室に向かうよう命じられました。
上司を難なく乗り越えられたために、完全に油断していた私は、この時少しビビり始めました。

社長室に行くと、静まりかえった部屋の中、椅子に座り、机ごしに社長と二人きり。
面接のとき以上に、居心地は最悪でした。

そして、社長が語りだしたのは……自分の、子どもの頃の話でした。
いかに自分が貧乏な家に生まれ、病気がちで、両親からも冷遇され、
そしてそんな逆境だらけの境遇を跳ね返すためにいかに努力し、今の地位を掴んだか……というサクセスストーリーを、小一時間ほど。

そして、一通りの自分の人生を話し終えた社長が言いました。
「で、かつてあんなに病気がちだった私でも、努力したから今はこの上なく健康で元気だ。この人生の中で、私は学んだんだよ。逃げても何も残らない」と、

は……? と、私の頭の中は疑問符で埋め尽くされました。

その疑問が私の表情に浮かんでいたんでしょうね、社長は少し苛立った様子で続けました。
「だからね、休職するというならそれで構わないけど、君のその休職は、逃げ、甘えだと言っているんだ」

この言葉をきいた瞬間、私の頭は真っ白になりました。
私の申し出は、ずる休みの企てとでも思われたのでしょうか。さらに社長は続けます。

「この手の感じで休職していった者は、私の経験上、
戻ってこないと知っているんだがね……ま、それでも休みたいというのなら、止めないよ」

これがとどめの一撃でした。もちろん、あんまりなタイミングでそんな病気を発症した私が一番悪いのだとわかってはいます。
けれど、会社に迷惑をかけるとか、来月からのプロジェクト頑張ろうとか、いろいろ考えていた自分が本当にばかみたいだと心の底から思いました。

あまりの虚無感に、それまで辛うじて取り繕っていた相槌も表情もおざなりになっていたのでしょう、
社長はそのあと私の上司を呼び出し「どうやら彼女に私の言葉は届かなかったようだ。もう結構。」

かくして私は、三時間にわたる社長室での地獄から解放されました。
そしてその時、社長室に入るまでは全くなかった「退職」を心に決めていた私がいました。

社員のみなさんはともかく、こんなことを言うやつがトップにいる組織じゃこれ以上働けない、というのが私の退職理由です。
あの社長は今頃、やはり自分の言葉通りになった、とでも思っているのでしょうか。

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