運命は会社が握る

猪飼智弘

2017/11/21

男性 44歳
食料品加工業

サラリーマンを長年続けてきていますが、決してサラリーマンが安泰だと思った事は有りません。
サラリーマンとは、一般的には月々決まった収入を得ることが可能。また会社が社会保障などの税金を負担してくれ、安定した生活を送れるものと言われます。
しかし、この「安定」という言葉には裏があります。

確かに「安定」は手に入るかもしれませんが、その「安定」が保証されるのは会社から必要とされているうちだけです。
働き盛りであれば、会社から必要とされ、「安定」も保証されます。

しかし、何かのタイミングで、「失業」、「左遷」、「降格」、「減給」など、自分の身に絶対に降りかからないとは言い切れないのです。
会社から放り出される事まではないにしても、大幅な収入ダウンに見舞われたら、家のローンや養育費、老後の生活はどうなるでしょうか。
既に年金受給年齢は引き上げられているのに、この先また同じようなことが起きないと言えるのでしょうか。

一昔前は、「愛社精神」が重要視されていました。
しかし、今はそんなものありません。

どんなに社員想いの会社であったとしても、会社は自身の利益を優先するはずです。
つまり、会社はボランティア団体ではないという事なのです。

今、私の会社はIT関連業として業績は好調です。
しかし、それが今後何年間続くなんて思えないのです。
一瞬先は闇。本当にこの意識は常にあります。

会社が存在する理由は自身の利益のためであり、この考えだけで今の会社は成長したはずです。
この5年で東証一部にまで上場しているくらいなので、儲かりまくったのでしょう。

しかし、会社の成長と共に歩んできた私も40代になれば、不安と背中合わせです。
サラリーマンという稼業を楽観的に捉えている人って幸せだと思います。

そもそも、そういう人はサラリーマンにリスクがあるなんて本気で疑っていないと思います。
サラリーマンは、会社に多くのものを委ねているのが現状なのです。
私たちサラリーマンが請け負っている仕事は、全て会社から与えられているものです。

私に仕事があるのは、会社が持つ信用や実績という力のおかげであり、私個人の力なんてほとんどありません。
定年後じゃなくても、今、会社に放り投げられてしまえば、きっと自分の無名無力さを感じ無気力になってしまうのではないかと思います。

実際に、私は経営者になった事はありません。
経営者は腹の中ではどの様に考えているのか、それだけでも不安になるのです。
きっと、会社に利益をもたらす人だけが必要と考えているはずです。

会社に自分の存在価値を認めさせようと意気込むのは嫌いじゃないですし、それぐらいの気概はあった方が良いと思ってます。
しかし雇われる側のサラリーマンに、主導権が移ることはありません。

つまり成果を上げても評価されると限らないのがサラリーマンだと言うことです。
サラリーマンの運命というのは基本的には会社に委ねられており、会社が下した決断は受け入れるしかないのです。
この不安を常に持ちながら日々を過ごすのは辛く、考えないようにしなければならないです。
これを打破するためには、一個人としての存在価値を高めるしかありません。

会社という看板や肩書きがなくなった時に、自分には何が残るのか。この問いに対して、自分を納得させる答えを持ち合わるようにするしかないのです。
同じサラリーマンとして頑張っている人からすると、このような考えにネガティブな印象を受ける人もいると思います。
しかし、これくらいの気持ちでいないと不安になってしまうのです。

サラリーマンを否定するつもりはありません。
一個人では扱えないような大きな仕事に携われるのは、サラリーマンならではのやりがいだと思っています。
しかし、サラリーマンは決して安泰ではないのです。

会社の一歩外に出た後の一個人の人生にまで、会社は責任を負いません。
会社に捧げた多くの時間の対価が、お金という形で得られる一時的な安定では割に合わないのです。

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